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貴方の愛が得られないなら、私は私が要らないのでしょう 人魚姫
「おい跡部、」 声をかけておいたのは自分なのに止まってしまった。 「なんの用だ、滝」 人を魅了するほどの美貌と云うのは眼の前に存在していた。憂いを帯びて、何て様だろう? 「なんの用だ、じゃないよ。次は移動だよ?このまま此処でサボる気なの?」 「行くさ、サボる必要は無いだろう?」 伏せた瞳に気が付かないでいろとでも云うのだろか? 腫れた目元を知らないフリをしてろとでも云うのだろうか? 左手の道具が重い。 文鎮、硯、決して軽くは無いんだよ? 「じゃあ行こう?これ以上ゆっくりしてると、遅刻する」 さぁと掴んだ腕のなんと細い事。 緩慢な動作で必要な物を持って立ち上がろうとする跡部には、少なくても一ヶ月前まで見れていた三年前からの跡部を写しては居なかった。 だらりとのびた腕に、俺の溜息が漏れる。 ねえ、跡部、 「俺はお前を奮い立たせた上げようなんて思わないよ。無様なお前を見て罵りもしない。それでいいならそうしてれば良いよ。傷つくのは誰でもないんだから。生憎、僕は、偽善者でもなければ、神様でもないから。お前のことを、如何こうしてあげないよ?」 見下ろす体制で話すのはちょっと好みじゃない。髪切ろうかな?ちょっと鬱陶しいかも。 「・・・いないんだ、ここに・・・俺はどうやって三年前に乗り切ったのか・・・」 ああそう。自分を助けてくれた王子様が傍に居ないのが、そんなに堪えるの。 「お前は、王子様が愛しいと、王子も殺せず泡になった人魚姫だったのかい?」 移動教室行きたいのに、握った手の先は動こうとしない。 き ー ん こ ー ん ・・・ チャイムが鳴ってしまった。あぁあ・・・始まっちゃった、授業・・・。 「善いから、行くよ?なんだったら、置いてくからね?ていうか、俺、お前を引っ張って行く気無いから。そういうの、俺はしないよ。忍足じゃあるまいし」 建前だけで生きては居ないから、それを知ってる跡部に突き刺す。 此処で絶えるなら、この程度だったんだ。俺達の絶対的なものは。 しかし…どうしてあいつ、クラス違うんだろう・・・ あ、そうか、芸術選択違うからか・・・こんな事なら書道なんて選ばなきゃ善かったかなぁ? 弱弱しく握られた手を振り解くことも出来ずに、首を鳴らす。ぱきぱき。 おっと、マネージャー業に専念しすぎて、そういえば運動してなかったな、最近。 一ヶ月前に別れた時は、もう少し覇気があったというのに、あの王子様(というには、ちょっとがたいが良過ぎる)は何処までこの姫君を侵食しているのだろう? さわさわ 桜の花びらと一緒に、風が舞い込んで来る。 少し手に力が込められた。 「滝、」 「何?」 「選べないなんて、言わせない。アレが、俺に惚れないわけが無い」 あははは! 「跡部、」 「何だ?」 「お前は儚く泡になって消えたりしないよ。しぶとく生き残れる。王子様とお前を殺す短剣なんて、何処にもないよ」 あるのは、二人を結ぶ、強かに撓る、綺麗な糸だけ。 「優しいから、アドバイスをあげるよ」 「珍しいな」 「偶にはね? 手繰り寄せてごらん、糸を。呼んでごらん、名前を。あの子は気付くし、お前は楽になる。 追い詰めてごらん?鰓呼吸よりは、肺呼吸の方がお前には合ってるかもしれない。」 分かり辛い喩を一つ。 「珍しく、饒舌だな」 「お前が普段しゃべり過ぎるから、俺が無口に見えるだけだよ」 ふふふといつもどおりに笑えば、跡部はようやく重い身体を上げる。 「行くよ、授業」 促せば歩き出す。一歩一歩。確かに。 ぱた ぱた ぱ た 足音がやんでしまって聞こえない。 「跡部・・・?」 止まった足、眼を見開いた跡部が、外を見ていた。 大きな窓の向こうには、外の景色が絵画の様に見える。 「桜は、まだ咲いていたのか・・・ なぁ、樺・・・」 もう、お前、我慢の限界だね。 「ふふふ 貸し一つだから」 俺は人魚姫の声を奪った魔女では無いから、跡部を動かすのに彼の声はいらない 動くなら勝手に動けば善い。その為になら手を貸してあげよう。 お前が動くと決めたなら、俺は、駒になってあげる。でも俺はけして他人の為に俺からは動いてあげない。 重役出勤ですみませんと言いながら二十分程遅れて授業に参加した。 生理なんです、俺も跡部も。ついでに跡部は苦しいから保健室辺りで休んでます。といえば、「あ・・・お大事にな・・・」と顔を赤らめた教師に、余計な詮索をされなかった。 俺の知ってる人魚姫は、偽善的な愛で消滅したけれど、それでよかったのだろうか? 俺の知ってる跡部景吾は、己を取り戻せば偽善もクソも無く、愛しい人を手に入れるために鰓も鰭を捨てても、思いも声も無くす事無く、願いを叶えるだろう。 消えるならば、二人一緒に。 20040611 |