何処までも空は高い。
でもあの青は、全てを許容しているけれど、本当は誰にも触られたくないのだ。
何故なら、触れられてしまえば、触れてくれた優しい人を、壊してしまうという事を、あの青い空は知っているからだ。
大気圏
「柳生柳生、やぎゅ〜!」
こいこいと手招きされて、呼ばれたのは、柳生比呂士。
「何ですか貴方、そんな大声で人を呼んで。ちょっとは自粛してくれたまえ!」
眉間に皺を一つ寄せられながらも手招きに成功したのは、仁王雅治。
窓際とは反対側、廊下側の方に女子が固まって少し騒ぐ。
仁王君は格好いい、いや柳生君の方が格好善いと。
同じクラスになってはや二ヶ月。いい加減二人がそろうたびに、もしくはテニス部員が集まるたびに噂をするのは辞めて欲しい。
騒ぐだけなら、真ん中の列やや窓際寄り、後ろから二番目と後ろにいるジャッカルと丸井でも善いのだ。
その二人は、さわがれることもなく、いつもどおり次の教科の担当教諭に出された宿題を忘れていた丸井がジャッカルのノートを写していた。
何も変わらない空間。蒸しては居ない暑さが蔓延する、自分たちを包む空間。
はよう!と促されて仁王の席へ向かう。その途中でせっせと勉学に励んでいる丸井に声をかける。
「丸井君、貴方大概忘れっぽいのですから、ちゃんと眼に入るところに宿題を書いておいたら如何ですか?覚えてればやってくるのですから」
「うっさいよ!紳士め・・・!ていうか、紳士ってどんなスキルなんだよ!」
「おい丸井、悔し紛れに喧嘩吹っかけてないでとっとと写すなら写せよ!」
「おぉ!そだった・・・!」
はぁ、とため息をつく前に丸井の保護者的立場のジャッカルに「スマン」と眼で合図されてしまえば、ため息も付く事は無い。
よっぽど自分より紳士的じゃないかと思う。
「飛行機雲が空にあるとよ。」
呼ばれて此処に来た事はもう善い。女子の騒ぎも聞こえないふり。それでも白いワイシャツをだらだらと着ている仁王の、何処が格好良いのかはほとほと分からないと、柳生は想っていた。
「明日は、雨なんですよ。」
呼んで此処に来てもらってもう善い。女子の事は端から如何でも善い。でも白いワイシャツを、青いネクタイを、きっちりと着ている柳生を、格好いいというのはちぃと違うと、仁王は想っていた。
チャイムの鳴った休み時間。次の授業まで後八分。
移動ではないからこのままこの空間に居れば善い。
しかし
仁王雅治・彼に窓際の席(しかも中途半端に前よりの真ん中)を与えたのは誰なのだろうか?
(各云う柳生は真ん中の列の一番後ろに席がある)
学校を一日休んだ日の翌日、気が付けば席が替わっていたのだ。だから未だに誰がこの席替えを決行したのか、どのような方法で決めたのか、柳生は知らないのだ。
目の前では仁王が椅子にまたがってぼけっとしながらにこにこと笑っている。
とても隙だらけで、なのにどこにも隙の無いこの男は何なんだろうか?
柳生の眉間に皺がよるのは、仁王に出会ってから日常茶飯事のようだ。
始めてあった時から。この人は、いつだって馴れ馴れしいし、いつだって笑っている。
手を伸ばして、懐に忍び込もうとする。
「何してるのですか」
柳生はは別に聞かなくたって良いのだ。六月に青い空なんてそうそう見えない。仁王は勝手にそう言ってくる。言いながらとてもよく晴れた空を馬鹿みたいに眺めていた。
特別な事を何も言わなくても、隙など与えてくれない目の前の男は何なのだ?
顰められている眉間の皺は、何所までも増えていきそうだ、と、見ている方を疲れさせた。
「屋上で意味も無いとかいいつつ見たいんじゃよ。本当は」
不意の間を埋める様に。教室の狭い四角から眺める空は詰まらないとでも言うように。
「屋上が意味も無く開放してるのなんて、創作の世界だけです」
限定された空間を。その中の風景を。
貴方には鉄格子のようなこの澱の中から見る空で十分でしょう?
・・・今の感情な何なのか・・・?
ため息が雑じる。
「明日は雨が降るんでしょうね」
くつくと笑う声が交じる。
「雨は嫌いか?」
「嫌いだといっても、好きだといっても、明日の天気が変わるわけじゃないのなら、あなたに教えたって、なんの役にも立たないでしょう?」
「柳生比呂士を知る。十分じゃろ。主が、俺に、何も言いたくないのならそれまでの話だがな」
ため息が雑じる。
「仁王くん、あなたそんなに私を知りたがって、私にでもなりたいんですか?」
いらいらしていた。「この男としゃべっていると、行き場の分からない鈍痛がする」どこかで信号がでる。危険だと。
「はは!それもいいの、柳生!主もなかなか面白い事を言う!」
からからと笑う。人を見透かしたような眼で。
手を伸ばす。頭を撫でるため。
「私は貴方を理解する気は無いです。貴方になりたいとも思わない。だから私は教えません」
頭を撫ぜる手を振り払いながら答える。
「なぁ『紳士様』、空が見たいんだよ、ワシは。本当は屋上から、区切るものの存在しない屋上から」
振り払われた手を窓に向けながら話す。
「知ったことでは在りませんよ『詐欺師様』。立海大付属中学校は、屋上への立ち入りは禁止となっていますよ」
「触ったら此方を焼き尽くす、孤独なあの空にな、近づきたいんだよ。一度でも触れられたんなら、燃え尽きてしまってもかまやせんのよ」
鈍痛がする。何にいらついて居るのかも分からない。分かりたいとも思わない。
「勝手に触ったら如何ですか?自己満足に貴方が触れて、もっと孤独にすれば良いですよ。空を」
後一分もしない位でチャイムが鳴る、彼は席へ戻る。
賑やかだった教室は静まり始める。
あの人は空を見る。窓に囲まれた空を、眩しそうにみつめる。
何がいらつかせるのかなんて、永遠に知らないままなのだ。
何に焦がれているのかなんて、永遠に知らないままなのだ。
「何だかねぇ・・・気が付きゃ良いのに。なぁ、ジャッカル」
「気が付くまでほうっておけ、丸井。っつうか、終わったのか、早いな」
「天才的?」
「忘れてこなきゃな」
いつだって彼らこの白い檻から、独りを恐れて許容し続ける空を案じるんだ。
「三年経っても、気が付かないからたちが悪いんだよ、仁王も。柳生も。」
20040610