いつだって、どれだけ待ちわびたって、一度として鳴った例のない携帯電話。
今日だけはぎゅっと握り締めて瞼を閉じた。





けいたいでんわ




















「樺地」
「ウス?」
「いや、なんでもない。また明日な」
「ウス。失礼します」

言葉を濁した俺に、ほんの少し首をかしげながら、結局は深く追求することなく樺地は帰路に着いた。
その背中をぼんやり見送りながら、呼び止めて「命令」しそうになった自分に笑いそうになった。

−なぁ樺地、零時を過ぎたら電話をかけろよ−

何を考えてんだ、俺は。
明日だって学校はある。
あいつの事だ。いつもどおりに起きて、いつもどおりに迎えに来て、いつもどおりに俺を起こして、いつもどおりに優しい顔を見せるのだろう。
それは何一つ変わらない日常。そして何一つ変わって欲しくない日常なのだ。

だけどせめて。明日くらいは、いつもの日常を少し壊して欲しかった。
鳴らない電話を待つことなんて俺はしたくない。
けれど、樺地に負担を強いてまで俺から電話なんてできる筈もない時間の話だ。

樺地は知っている。
俺が本当は、眠るのが得意ではないことを。
それを知っててかけてこないのは、眠りの浅い俺に、せめて体だけでも休養させる為であり、何より、樺地が無理をして倒れでもして俺が不機嫌になるのを防止する為であり、結局全ては俺の為だということくらい知っているのだ。

それでも、願ってしまうのは、いくらか樺地に対してだけ気が弱くなってしまった俺の責任だ。
本当は願うことなど必要なく、全ては自分で掴み取ればいいだけの話なのだと知っている、俺の責任なのだ。



なぁ樺地、俺はいつから、こんなに弱くなっちまったんだろうな?
いまだに見送り続けてる背中がぼんやりしてきているのは、樺地が余りに遠いからか、それとも、秋の風にさらされた頬伝う水のせいなのか、それはわからないままだった。




















++++++++++ ++++++++++

別れ際、跡部さんがひどく落ち込んでいた。
なのにいつもどおりの笑顔で、なんでもないと笑った。

跡部さんが何も言わないのは、俺にとってどうでもいい情報だからで、跡部さんが俺を騙したりしたことは一度としてなかった。
だから俺は深く追求したこともなかった。
必要ならば必ず言ってくれる。そう想っていた。
何も言わなかったのは、それが不必要なことだから。そうは想っても胸がちりちりとしていた。
それでも、俺には、どうしていいのかわからなかった。

家にたどり着いて、お帰りなさいと母から声がかかった。
ただいま帰りましたと言えば、挨拶もそこそこに、妹から「明日の朝になったら、けいごお兄ちゃんにお電話したい!」とねだられた。
何故?と聞けば、「だってちょっとでも早く、お誕生日おめでとうございますって言いたいもん!」といわれた。
「少しでも早く?」
「うん!」

大切な言葉を、大切な人に、少しでも早くきちんと届けたいと願う妹。

まだ小さいと想っていた妹は、ずいぶん大人になっていた。
妹の言葉で、ああそうか、跡部さんはいつだって俺を待っててくれているのかと、今更そんなことに気がついた。

いつだって俺は跡部さんを守るふりをして、あの人の惜しみない優しさを受け入れるばかりなのだ。

夜、眠ることが苦手な跡部さんは、俺を待っていたのかもしれない。
そうだとうれしい。
でも、俺がいつも早く寝てしまうのを知ってるから、きっとそれを言い出すこともできなかったのかもしれない。
ごめんなさい、跡部さん。心の中で謝ってみた。
そして、「これはお前と俺だけを繋ぐ携帯だから」と、一度だって俺から使ったことがない道具を、かばんの中から取り出した。



今日はいつもよりずっと遅くまで起きていよう。
いつだって俺を待っててくれる優しい人に、少しでも早く伝えよう。誰よりも早く伝えよう。そう、想った。

毎日は無理だろうけど、せめて、明日だけは・・・。
そう、明日は跡部さんが生まれてきてくれた大切な日なのだから。




















++++++++++ ++++++++++

時間は既に零時まで三十分前。
樺地はとっくに就寝している時間だった。

きっとならない。
わかってる。
期待だけしてそれが裏切られたときの自分の受けるダメージも計算済みだ。

これ以上期待が膨れ上がる前に、今日は寝てしまおうと想った。いっそ俺に繋がる全てを切って、明日の朝、樺地が起こしに来るまで引きこもってしまおうかとも想った。
睡眠薬を飲み込んで、明日の朝を夢見る。
一番はお前がいい。俺はお前がいいんだよ。なぁ樺地。

意識を強制的に深淵に持っていく薬は、せめてもの希望の種だった。





ふかいふかい絶望の底で眠ったら、明日の朝は幸せで天国に逝けるだろうか?
そんなバカバカしい事を想いながら、意識は急速に失われていった。






























夢も見ないような場所で、かすかに聞こえる音を拾った。

―跡部さん、俺、ここにいますよ―

なぁ樺地、夢も見れないほど深い眠りに落ちた俺に、どうしてお前、俺に声を届けられんの?
拾った音は樺地のもたらす音なのだ。だから死に物狂いで樺地を探す。
樺地、お前は何処に居る?なぁ、何処だよ?

必死になった俺は終には目が覚めてしまった。
何?俺は樺地を夢に見て、それくらいで睡眠薬の効果をぶっ飛ばせるほど樺地が愛しいのか?
ばかばかしくて、いっそ哀れで笑ってしまった。

ひとしきり笑って、まだ何か音がする事に気がついた。
見れば手に握った携帯が、一生懸命に音を鳴らしていた。

表示を見れば樺地。
だけど見なくたってわかる。なぜならこれは、樺地崇弘ただ一人しかかけてこない電話なのだ。

「樺地?!」

切れてしまう前に何とか取れた電話。
ウスと答えたあと、
「お誕生日おめでとうございます、跡部さん」
と、ゆっくりとした言葉をつむいできた。
時計を見れば零時を数秒過ぎていた。
「なんだよおまえ、その眠そうな声は」
それを願っていた俺は、嬉しくて泣きそうな自分を鼓舞するように笑った。

きっと眠さとずっと戦ってくれていたのだろう。俺の願いをどこかで感じてしまったのだろう。

「誰にも取られたくなかったんです。跡部さんに、一番に伝えたかったんです」
ふらふらしてる声。ゆらゆらしてて、あまりにも眠そうな声で、俺も何だか眠くなってきてしまった。
「おめでとうございますあとべさん。おれ、ちゃんと一番でしたか?ちゃんと、伝えられました?」
「お前が一番だ。一番だよ。お前、なんだ、できるんじゃねぇの。ちゃんと、電話できんじゃん」
二人してふわふわした会話。

ありがとうと言ってから、電話を切ることができたのかは覚えていなかった。

嬉しさの中で、俺はようやく、ゆっくりと眠れた気がした。










幸せな夢をみて、お前が起こしてくれるんだろう。
なぁ、最高の誕生日プレゼントをありがとう。





目覚めてから俺は、目の前のこいつに、どうしようもないほどの愛しさがこみ上げてきた。


















































20051004