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自分の幸せを願うこと。わがままでは、ないだろう それならお前を抱き寄せたい。できるだけ ・・・ When someone's wish is realized. 差し伸べられた手を、握る事への罪悪感 四年と二ヶ月と十六日前。 何も言わずに東京に大切な友人を残し、誰も知り合いの居ない町へと越してきた。 家の前には新しい自分の家より遥かに大きな木造建築物が構えていた。 幼心に、これは『武家屋敷』と云うのではないのだろうか?と想ったほどだった。 表札には「真田」と、とても綺麗な文字で書かれていた。 「真田さん、か・・・」 何も分からないから、その時は其れがただの記憶になった。 「蓮ちゃんはお引越しの作業が終わるまで、お外で遊んでていいわよ?」 と、母に言われ、中に居ても邪魔になってしまうと外へ出て行った。 何も知らない街を、前の家と同じ様に歩いたら何処へいけるか。 小さな好奇心。 全く同じ場所へたどり着く事は無いと知っているけど。 手始めにいつもテニススクールへ通う路。家から同じ様にたどっても、けしてテニススクールへは辿り着かない。 分かっていたのに。 最後の角を曲がる。 「おはよう、教授!」 にこやかに、手を振って。私が来るのをいつだって待っていた彼が。 そこに無いはずのものが当たり前に無かった事が、こんなにも苦しいと知った。 ここには何も無い。 全ておいてきてしまったのだから何も無い。 笑って待ってくれるものなんて、何一つ無い。 心臓が張り裂けてしまいそうで、だったらいっそ、張り裂けてしまえば良いと、闇雲に走った。 走って走って、 どうしようもない感情でぐちゃぐちゃになっていた。 「ごめんなさい、ごめんなさい貞治・・・」 ずっと走り続けて、塀に手をかけてようやく立ち止まった場所は、 「ここは俺の家なのだが。君は何か用でもあるのか?」 剣の鍛錬から戻ったその家の小さな住人の家の前だった。 「あ、今日から、ここへ、越してきた、柳 蓮二です」 大きな家の前に建つ、小さくは無いが、比べるには少々分不相応な自分の家を指し、ぜぇぜぇと整いきらない息で挨拶をした。 きょとんとした表情の目の前の少年は、 「とりあえず言っておくのだけど、俺は男だ。」 少し驚きながらも、 「そうなのか・・・?まあ何をさておいても、これからよろしく!」 屈託無い表情で手を差し伸べてきた。 「俺の名前は真田弦一郎だ!」 ああとか、うんとか、歯切れの悪い返事をしながら、それでも握った手は、とても暖かかった。 温かいその手は、けれど同時に、怖くて仕方が無かった。 また、この手を振り払ってしまう日が来るかもしれない・・・。 外から戻った私に、 「蓮ちゃん早速お友達出来たみたいね、よかった」 と、母はにこやかに言った。 外での、真田弦一郎とのやり取りを見ていたらしい。 「あ・・うん・・・」 精一杯の返事をして、引越し業者が淡々と終わらせてくれた、まだダンボールの片付かない自分の部屋へと行こうとした。 階段でその様子を見ていた姉は悲しい顔をしながら、階段をあがろうとしていた私の頭をゆるゆると撫でた。 「蓮二、ちゃんと求めなさい。貞治君だけが全てじゃない。」 ぽつんと言われた優しい言葉は、でも、今はまだ、苦しい言葉だった。 お姉ちゃん、ごめんなさいと呟きながら、階段を上がりきった。 部屋へ入り、扉を閉め、鍵を掛け、置いてきてしまった貞治を想った。 たった一言が怖くて言えなかった。 眼の前で傷付いた顔を見たくなかった。きっと彼は、自分に見えないだけで、とても傷付いているに違いが無いのだ。 そんなもの、データなんて無くたって、否が応でも脳裏に浮かぶ。 東京には後悔を置いてきてしまった。 気付かれる事なく振り払ってしまった私の手。彼はあの場にぽつんと残ってしまったかもしれない。 私に手を差し伸べてくれる新しい友が現われたように、彼にも自分の代わりに手を差し伸べてくれる友が現われてくれれば良い。そう、願った。 窓の外を見たら、とても綺麗な鴇色が、穏やかに太陽と月の入れ替わりを見送っていた。 今、同じ空を、何も理解からずに貞治は見ている。 ++++++++++++++++++++ 引っ越してからは毎日のように弦一郎が私を外へ連れ出しに来ていた。 何も知らない事だらけの私は、その行為をとても嬉しく想っていた。 だけどある日、いつまで待っても鳴らないチャイムに焦燥し、初めて弦一郎の家のチャイムを鳴らした。 からからと開けられる扉の前には、酷く驚いた顔の弦一郎が立ち竦んでいた。 「すまん・・・蓮二・・・まさか泣くとは思っていなかった・・・」 「え?」 「泣かないでくれ・・・俺は、泣かれるとどうしたら良いか分からない」 「!泣いてなど・・いない・・・!」 色んな感情が溢れていた。 自分は置いていったくせに、自分が置いていかれるのが怖かった。 何も知らない世界で、孤独になりたくなかった。 とてもみにくい心を持っているからと、見放されてしまったら如何して良いのか分からなかった。 「・・・ないてなんか・・・いない・・・」 感情がうまく表情に出せないからなのか、ぽたぽたと溢れてしまった涙が、いつまでたっても止まらなかった。 「・・・蓮二。蓮二はテニスをやるか?」 ぽんぽんと背中をゆっくり叩きながら弦一郎は訊いてきた。 「弦 一郎 も やる のか・・・?」 ひっくひっくとしゃくりが止まらない声で訊き返した。 「ああ、スクールに通っている。今も、これから行くんだ」 「俺も・・・スクールに通っていた・・・けど、引越しで、其処は辞めてしまったから・・・」 「ならば、俺の行っているスクールに一緒に行かないか?」 初めて言葉を交わした時と同じ様に、やはり屈託無く笑って手を差し伸べる弦一郎の手を、私は少しおどおどしながら握った。 人の手を振り払ってしまった私は、またいつか、誰かの手を振り払ってしまうのじゃないかといつも怯えていた。 手を握ったまま、弦一郎の通うスクールへと歩いた。 「今日はスクールの日だったから・・・。ちゃんとお前に言えばよかったんだな。すまなかった」 「いい・・・俺も、泣いてしまって、すまなかった・・・」 そう言いながらまた少し泣けてきてしまった。 完全に開き切れない心を、本気で掴めない手をもどかしく想いながら。 | |